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オーパ!オーパ! モンゴル・中国編 ・スリランカ編
2007-06-22 Fri 20:36
開高健の釣り紀行シリーズの最終回です。
私は十数年前、この本によって随分、外国の川に憧れました。
既に日本の釣り場は川も海も荒れ果ててしまった感が強かったのを覚えています。
残念ながら今でもそれは決して晴れません。
それでもタモで水路を掬うぐらいならまだ余地は残っていると思っていました。
そんな思いから数十年経った後、何気なく子供の頃の記憶のまま水路にタモを入れて唖然としました。
このブログを始める切っ掛けの衝撃でした。
殆ど何もいない。
いてもザリガニとオタマジャクシのみ…。
車という機動力を活かしてあちこちの水路を漁ってみて、小魚一匹採るのにこんなに苦労するものかと驚きと落胆を感じました。
田圃の水路は全て管理水路でした。
コンクリートで固められ、田圃と隔離され、冬には水が涸れてしまう水路には安定した生き物の生活環境は残されていませんでした。
昭和の高度成長期時代が日本の田圃の境目だったんだとつくづく思います。
まだまだ簡単に生き物たちと触れ合うことができましたから…。
この釣り紀行もそんな時代に外国の川を釣り竿で大名旅行した記録です。
元々、開口健の文学としての乾いた文体が好きでした。
蘊蓄があり奥の深い表現に唸らされました。
引き込まれて小説は殆ど読み漁っていました。
この作家も外国へ釣りに行くのは、日本の川の破壊や権利問題にあきれ果て、半ば世捨て人のような寂しさを垣間見せます。
同じく高度成長期頃の話です。
標的の大きな魚を釣り上げた文章だけを見れば、豪快で自慢げで迫力があるのですが、日本の自然環境への憂いを持ちつつであったことは確かです。
このブログを始めてから、開高健の一連の釣り紀行と自分自身が感じている身近な自然の環境変化への思いが重なって、手持ちの書籍を全て紹介しようと思って今回まできました。
釣りも大好きですが、海外の魚や釣りが紹介したかったわけではありません。
オーパ!オーパ! モンゴル・中国編 スリランカ編
オーパ!オーパ! モンゴル・中国編・ スリランカ編
さて、モンゴルや中国の釣り事情ですが、民族的に遊漁釣りとしての文化はあまりないようです。
食用としてなら網で魚を捕らえるという感覚の方が強く、魚種にも食用としての価値以外関心がないようです。
モンゴルの河でメーター級のイトウが入れ食いという記事だけが妙に光っています。
一連の釣り紀行には土地の文化や風習を作家としての鋭い観察眼と豊かな文体で読ませてくれていますが、オーパシリーズのこの最後の編はまさにアジアの知られざる一端を様々に書き記してあり、釣り紀行より文化紀行の趣があります。
開高健の魚や釣りに関する書籍は全9冊取り上げました。
私の思い入れからです。
今後も気になった魚関連の書籍があれば、随時、記事にしていきたいと考えています。
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この記事のコメント
no.2252:
開高健の釣り文学シリーズというと、どうしても最初の「オーパ!」にばかり目がいきがちですが、他のシリーズ作品も確かにアマゾン篇ほどの派手さ?はないものの、むしろ懐畔氏のおっしゃる通り、紀行物としては純粋に楽しめます。

こういう話題がアクアブログでもっと出てくると楽しくなりそうですね。
2007-06-23 Sat 01:01 | URL | 八橋水作 #ZTGLyrdM[ 内容変更]
no.2253:
八橋水作 様
敢えて申し上げます。
コメントありがとうございます。
開高健の魚関連の書籍は10冊持っていて全て紹介し終わりました。
最初に紹介した「私の釣魚大全」は昭和40年代の日本淡水魚に対する人々の拘りが描写されていてお勧めなのですが…。
私はルアー釣りを奨励するわけではなく、魚についてあれこれ御託を並べる気もさらさらありません。
仰る通り、御所介した開高健のシリーズは紀行物、ルポルタージュの書籍として広範囲な視点からありのままを伝えています。
生き物に接するのに、目先の狭隘な視点だけで物事を捉え、表面上見せかけの自然や生き物への愛護と勘違いしているのを見聞きすることが多くなりました。
必要なデーターや情報だけを検索し、記憶して解ったつもりになっている風潮を色々な場面で目にしますので…。
ま、独り言です。
2007-06-23 Sat 20:13 | URL | 懐畔泥鰌 #w9NC1EbQ[ 内容変更]
no.2255:
>必要なデーターや情報だけを検索し、記憶して解ったつもりになっている風潮を色々な場面で目にしますので…。

全く同感です・・・
今は検索エンジンなるものがあるので、本当に簡単に「知ったつもり」になれてしまいます。確かに複数の主張を瞬時に・並べて比較できるので客観性という点では良いのかも知れません。が、本という情報ソースの良い所として(悪い所にもなりますが)作者の意図や主観が最も純粋に伝わる媒体である、という点があります。
そんな本を通じて得られる複数の「主観」が読者の中でせめぎあい、読者自身の責任と感性で必要なエッセンスをそれらから抽出するプロセスが面白くもあり、また大切なのではないか、と。

ペット雑誌を作っていた時も、google叩けば即座に良いネタや回答が出てきて安直な誘惑に駆られた事もありました(専門用語の裏付け等には多用していましたが)。しかし最終的にはやはり「己が確信を持って得た知識」で短い期間ですが一貫して原稿を書きました。

そうでなければ本の存在意義など無くなってしまいかねないな、と思えたまでの事です。(今もあちこちで幽霊ライターやってますんで)
長文失礼しました。
2007-06-24 Sun 13:37 | URL | 八橋水作 #ZTGLyrdM[ 内容変更]
no.2260:
八橋水作 様
PCは道具です。
情報は単なるデータでしかありません。
それを判断し、使いこなし、創造に役立てるのが人の役目だと思っています。
その為にも自己の意識を磨いておかないと、安易な思い込みや既存の価値観で選別してしまい自分を無くしてしまいますね。
書籍は情報以上に想像力を磨く恰好の道具だと私は常々思っています。
著者の意識にも触れることが出来ますしね。
2007-06-25 Mon 23:26 | URL | 懐畔泥鰌 #w9NC1EbQ[ 内容変更]
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